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「生命の實相 第一巻 聰説編 七つの光明宣言」より抜粋。

われわれが「生命」を礼拝すると申しますれば自分自身を敬い拝むことになるのであります。自分自身が尊い「生命」であるとの自覚がすべての道徳生活の根本になるのであります。自分自身が尊い「生命」であればこそ、自分自身をはずかしめない生活をすることもできるのでありますし、また他人の生命や個性や生活をも尊重することができるのでありまして、ひいては、われわれの「生命」大元の「大生命」をも尊び礼拝したくなるのであります。これと反対に自分自身が尊いということが解らねば自分と同じ一個の生命であるところの他人を尊ぶべきゆえんも、その本源である神を尊ぶべきゆえんも解らなくなるのであります。

 

「生命」はその生長を「鞭撻」して促進するために競争者があらわれたり、苦痛や不幸があらわれたりするのでありまして、競争者や苦痛や不幸は、その人の「生命」の生長にはぜひなくてはならぬ迷妄の自壊過程であります。この刺激や反省資料があるためにわれわれの「生命」は反省の機会を与えられ、浄化の機会を与えられ、いろいろの経験を積んで生長することができるのであります。だから「知慧の言葉」にも「苦痛を不幸だと思うのは肉体心のあやまりである。苦痛がたましいの生長にどんなに必要であるかということを知る者は苦痛でも喜べる」と書かれてあるのであります。